こんばんは。相原一希です。
ついにやりました。100記事目!
あざーす!
我ながらここまで来れるとは正直思ってもみなかったのが正直な感想。
結構何事も勢いで突き進む性分なので、長続きはしないだろうなと思ってた。
でも振り向けば、いつもスターを付けてくださる皆様がいてくださって、
そして、コメント、Twitterでのリプ、いいね!
本当にありがとうございます!
たまにポエムを書いてみたり、パートナーとの密なやり取りを書いたり、
下着について熱く語ったり等々
一貫性がまるでない何とも得難いブログであると自負しておりますが、
すこしでも皆様の心に何か刺さってくれたらいいなぁ。と思ってます。
※心に刺さるというのは、傷つけるとかそっちの意味ではないです💦
ブログをストレスのはけ口にしているようなところも少なからずあるのですけど、
それはそれで、ありのままでいいと思っているので、
たまーに病んでるときは、そっとスターを付けてくださると有難いです。
コメントはかなり勇気のいることだと思いますし、
この僕のねじ曲がった根性を叩きなおしてやる。
という親切な方がいらっしゃったら幸いです。
遠慮なくコメントよろしくお願いいたします。
今日は人生単位で振り返ります。
めちゃくちゃ量のある記事になってしまったので、
読み飛ばしていただいて結構です。
興味のある方は読んで僕の人となりを感じて頂ければと思います。
本日のお品書き
- 振り返ればー
- DTMを知る。
- 男性を抱き、男性に抱かれる
- 大学進学と挫折
- ブラック企業という貧乏くじを引く
- そして、ここで早くも1年ニートする!
- そして、3.11と祖母の入院
- そうだ京都へ行こう。
- 出口のないストレスの渦
- 転職に次ぐ転職そして・・・
- そして、失業給付金をもらいつつ求職活動をする
- イチナナライブでの配信
- 紆余曲折があり今に至る
- まとめると・・・
振り返ればー
同人音楽サークルでぽちぽちと耳コピーをはじめて17年。(ゾッとした💦
Twitterをはじめて10年。
イチナナライブでリスナーをはじめて1年。
配信をするようになって、8か月。
いろんなことがありました。
DTMを知る。
DTMというものに興味が湧いたのが中学生の頃。
この頃は、多感な時期でもありました。
すでにゲイの素質はあったのかもしれないけれど、記憶が曖昧。
当時Cakewalk Home StudioとSC-88Proが同梱されたパッケージ、
ミュージ郎というものが売り出されていて、
Web上には様々なMIDIシーケンスが転がっていました。*1
当時はまだガラケー全盛期。
着信メロディを作ったりして遊んでいました。*2
ただ、自作PCをもっと生かせるものは無いかと思っていた矢先に、
DTMを知り、オンラインゲームにのめりこみ、
現実世界から、逃避するようになり始めたのはこの頃だった気がします。
それから、高校受験に失敗し、私立の高校へ進学しました。*3
男性を抱き、男性に抱かれる
そして、高校進学と同じく、僕のゲイの部分が強化され、
今に至りますが、高校時代は特に部活にも所属せず、
帰宅部を貫きましたが、クラスの代表に立候補したり、
とりあえず、目立ちたがり屋の変人だったのは微かに覚えています。
で初めて男性とお付き合いして、
ここで初めて愛に性別は関係ないなという気持ちに自信が持てたそんな気がしてました。
大学進学と挫折
それから、大学へ進学したものの、
まあ金銭的な都合と、カリキュラムに不満があったこと、
もっと貪欲に好きな事だけしたいという、今思っても、バカな選択をして、
バイトでの接客経験以外なんの経験もないまま、社会に出て・・・
ブラック企業という貧乏くじを引く
ブラック企業に1社目から当たり、
記念すべきブラック企業デビューを飾りました。
労働時間250時間超えで、且つサービス残業なんて普通にあるよね☆
それで手取りが15万くらいだったんだけども。
さすがに若いとはいえ、ストレスと過労で、
ここから長い闘いが始まる。
当時はまだ、パニック発作とかは無く、
吐き気と動機がたまにランダムで発症するという程度。
安定剤も軽いもので即効性のあるものを処方されていました。
そして、ここで早くも1年ニートする!
仕事なんてやってらんねー!って思ってた時期が僕にもありました。
というか、ランダムでやってくる不安な発作が厄介で、
落ち着くまで休養期間というか、
今風にいうと自分探しの時間w
まだまだ甘ちゃんでした。
そして、3.11と祖母の入院
リアタイで3.11の映像をテレビでみた記憶があります。
祖母と二人でこたつに潜ってるときに、何の映画だ。と思った。
そして、Twitterではいろんな情報が飛び交っていた。
これは現実なのか?
そんな思いが交錯していた。
それからしばらくして4月の中旬くらいに、
肝硬変で闘病中だった、祖母の食道にできた動脈瘤が破裂し吐血。
あの時僕が異変に一番に気づいていなければその日に亡くなっていた可能性があると聞かされた時は、怖かった。
僕自身、胃潰瘍で吐血の経験はあったので、
おそらくそれかと思っていたが、食道の動脈瘤が破裂したらしい。
それから、入院・闘病をするも、吐血した量が多く、
生死のはざまをさまよって、帰ってきたものの、
もう残された時間は少なかった。
可愛がってくれた、祖母がみるみるうちに弱っていく様を見るのは辛かった。
そして、祖母の誕生日を迎える2日前に、他界。
もっと早くに救急車を呼んでいればとか、
もっといろんなところに旅行に連れて行ってあげていれば・・・
とかもう今更どうしようもないことが堂々巡りだった。
ただ、眠るように逝った祖母の顔は、いつもと変わらず穏やかだった。
冷たい石のようになっても、そこには祖母のやさしさがにじみ出ていた。
葬儀の途中、肩が妙に暖かく、手を添えられているようだった。
「ちゃんと頑張りなさいよ。」
そう言われているような不思議な気持ちで葬儀を終えた。
そうだ京都へ行こう。
思い立ったが吉日。
当時京都の大学に通っていた弟の家に居候する。
その時に偶然見つけたアルバイトが、某大手中古書店のバイト。
そのころはまだ服薬中だったけれど、
落ち着いては来ていた。
この頃過去一番長く付き合った彼女ができた。
出口のないストレスの渦
バイトから社員へと上がった僕は、移動に次ぐ異動があり、
滋賀、京都を行ったり来たりするようになる。
そして、退職の決め手となったのが、上司からの毎日小一時間の説教だ。
上司に言われた通りの作業をこなし、報告するも、
あら捜しが始まり説教される日々。
毎日出社するのが嫌だったし、食事ものどを通らなくなり、憔悴。
そして、出社できなくなるくらい体調が悪くなる。
原因は分かっていた。
「うつ病ですね。」
そういわれたときに、ですよね。っていう気持ちになった。
2か月休養したが、仕事に復帰すると考えただけで、
吐き気をもよおすくらいの嫌悪感に満ちた状態だったので、
退職を選択する。
転職に次ぐ転職そして・・・
転職に次ぐ転職を繰り返し、その間に彼女の母との関係が悪化し、
結婚を前提にという話が立ち消えた。
それから、家出をするように大阪へ出て、
マーケティングが学べるということで、面接に行き即採用された。
だが、現実そう甘い話は無い。
ここでは書けないので、noteに書きますが、
いわゆる投資系の商材でどちらかと言えば詐欺に近いものがあり、
仕事に対して、懺悔の気持ちすら湧いてくるような状態だったため、
体調不良ということで、退職する。
大阪に出てきてから、ADHDだという診断を受け、
障がい者手帳を交付してもらった。
今まで自分が苦手としていたことは、すべてここに起因することだった。
もっと早くに気づいていれば・・・。
運命すら呪った。
そして、失業給付金をもらいつつ求職活動をする
大阪で働きたいという気持ちはあったが、
職歴が職歴のため、採用してくれるところなどなく、
SNSを使ったマーケティングや、町おこしなどに興味があったため、
独立するか。と、これまた思い立ったが吉日。
そして、家賃を払う事すら億劫になったため、岡山へUターン。
イチナナライブでの配信
もともとDTMを初めてしばらくしてから、インターネットラジオを自前でやっていた。
当時は原稿を書いたりしていたが、次第に原稿を書かなくなり、
終いには思い立ったことをその場で話せる、饒舌な人間になっていた。*5
そんなこともあり、イチナナライブでの配信を始める。
ただ、これと同時期にこれもnoteの限定公開とさせてもらうので、悪しからずな案件が発生し、バタバタする。
紆余曲折があり今に至る
まあ、色々遠回りしたけれど、自分で飯食っていくぜ。っていう準備の段階まではできた。
これは幼いころからの夢であったし、
それのステップを1段踏めたのは大きかった。
それから仕事の案件も徐々に発生しつつある状態になり、
LGBTQ+であることをブログにて報告する。
そして、パートナーもできた。
ここまで書いてやっと、人生をグラフで表すと、マイナスから、0ポイントのところに立っている。
そんな心境。
まだまだ、スタートラインに立っただけ。
プライベートは大きくプラスへと跳ねたけど、仕事面ではまだまだスタートラインに立てただけ。
noteの方ではちょっと踏み込んだ話も書きますが、
仕事のこと、金銭絡みのことでのトラブルが多い人生だったので、
仕事が順調だなー。と思ったことは今までほぼ無い。
常に何かに追われていて、全然楽しい瞬間は無かった。
やりたいことをやればいいじゃん。
そう思えば思うほど、ドツボにはまる。
そして、ちょっと人を信用しかけたところで騙される。
そんな人生です。
気づけば4000字も書いている。
恐ろしい。
笑顔が素敵だ。
やさしいオーラが漂っている。
順風満帆な人生を謳歌しているんでしょうね。
とよく言われる。
全然そんなことない。
むしろ、今の立場で仕事ができているのは遅すぎる。
オリンピックで走ってたら、4年後にゴールして、あれ?俺の参加してた回じゃない。
そんな気分だ。
まとめると・・・
思い立ったが吉日。とはよく言ったもので、
本当に信用していいのは、先生と呼ばれる職業についた人間だけでいい。
そんな気がした。
金銭的なトラブルがなければもっと早い段階でアクションも起こせていたし、
すんなりと今と同じことが早い段階で出来ていただろう。
結局人生において何をするにも金が必要で、
お金がすべてじゃない!という人も居るけれど、
生きているだけで、ご飯も食べなきゃいけないし、
仕事行くならスーツを買わなきゃいけない、鞄が必要、パソコンがいる。
ゼロ円で何かを成し遂げようとするのは時間が必要。
だからお金を貯める手段はいろいろと使ったし、
それによって大損したこともあるし、騙されたこともある。
そんな僕だから皆さんに偉そうに何かを語れるほどの学力も、地位も、金もない。
命を絶とうというくらい悩んでる人の気持ちはわかるし、
僕の親族や、ステークホルダーの皆さんがそうなってほしくないという気持ちが強くあります。
だから、僕は常に発信し続けたいと思うけれど、
押し付けることはしたくないと思ってます。
あくまで参考程度に聞いてね。というスタンスで物事を話します。
これはお仕事もそうです。
数字に取りつかれたように、物を人に勧めても、失注したらその時間は無駄になる。
だけど、僕はそれはそれでいいと思ってる。
メリット、デメリットすべて伝えて検討してもらったうえで、
じゃあ手を組みやりましょうと言ってくれる方だけ残ったらそれでいい。
だから、商談もほぼお互いにどんな人かを見るための時間だと思っているので、
雑談が多い。
人生振り返れば結局勝ち負けで見ると、
ずっと負け組の戦い方をしているといっても過言ではないかと思います。
きっともっと効率の良いやり方、稼ぎ方はあるんだろうけれど、
器用貧乏でいいと思ってます。
行く行くは法人になりますが、
100年続く企業を目指してはいないです。
そこに所属する人たち全員が各々幸せになれればそれでいいです。
だから、後継者がどうとか、あれはダメ、これはダメってルールを細かく決めたくない。
家で仕事してるんだったら、1日も会社に来なくてもいいじゃない。
寝坊したっていいじゃん。
飲み会の次の日休んだっていいじゃん。
そんなレベル。
人生振り返ってみるとこうも書くことが多いのかと改めて反省。
長文になってしまって、しかも何も得るものが無さそうな記事になり、
重ねてお詫び申し上げます。
まだまだ、スタートラインですから、やりたいことは貪欲にチャレンジ!
そしていろんな人とお話してみたいなーという気持ち。
これを大切にしていきながら精進していこうと思います!
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競ってるわけじゃないけど、見てくださってるんだってのが数字で出るので、
そういう意味ですごくモチベーションアップになります!
良ければクリックお願いいたします。
それでは明日は101回目の記事になりますので、平常運転で!
キリ番回の記事ではいろいろと振り返ろうと思いますので、
今回は初キリ番ということで人生を振り返りました。
また明日お会いいたしましょう!
ご清聴ありがとうございました。
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